Chikuwaのつぶやき

クラシック音楽、言語、ドイツ、物理など、雑食性です

アインシュタイン 一般相対性理論 原論文の日本語訳

誰でも名前だけは知っている、アインシュタイン一般相対性理論。本人が書いたドイツ語の論文(『一般相対性理論の基礎』*1)の序章を、日本語訳してみました。文体は、人当たりがよくて丁寧に物理を教えてくれる、人気教授という感じ。彼がこの論文を書いたのは1916年、37歳の時だけど、貫禄出すぎ!

ドイツ語本文

Die im nachfolgenden dargelegte Theorie bildet die denkbar weitgehendste Verallgemeinerung der heute allgemein als "Relativitätstheorie" bezeichneten Theorie; die letztere nenne ich im folgenden zur Unterscheidung von der ersteren "spezielle Relativitätstheorie" und setze sie als bekannt voraus. Die Verallgemeinerung der Relativitätstheorie wurde sehr erleichtert durch die Gestalt, welche der speziellen Relativitätstheorie durch Minkowski gegeben wurde, welcher Mathematiker zuerst die formale Gleichwertigkeit der räumlichen Koordinaten und der Zeitkoordinate klar erkannte und für den Aufbau der Theorie nutzbar machte. Die für die allgemeine Relativitätstheorie nötigen mathematischen Hilfsmittel lagen fertig bereit in dem "absoluten Differentialkalkül", welcher auf den Forschungen von Gauss, Riemann und Christoffel über nichteuklidische Mannigfaltigkeiten ruht und von Ricci und Levi-Civita in ein System gebracht und bereits auf Probleme der theoretischen Physik angewendet wurde. Ich habe im Abschnitt B der vorliegenden Abhandlung alle für uns nötigen, bei dem Physiker nicht als bekannt vorauszusetzenden mathematischen Hilfsmittel in möglichst einfacher und durchsichtiger Weise entwickelt, so daß*2 ein Studium mathematischer Literatur für das Verständnis der vorliegenden Abhandlung nicht erforderlich ist. Endlich sei an dieser Stelle dankbar meines Freundes, des Mathematikers Grossmann, gedacht, der mir durch seine Hilfe nicht nur das Studium der einschlägigen mathematischen Literatur ersparte, sondern mich auch beim Suchen nach den Feldgleichung der Gravitation unterstützte.

日本語訳

ここに述べる理論は、今日一般に「相対性理論」と呼ばれている理論*3の、考えうる限り一般化したものである。以下ではこの新しい理論を「相対性理論」と呼び以前の「特殊相対性理論」とは区別するとともに、後者の知識を前提とする。相対性理論の一般化は、ミンコフスキーにより与えられた特殊相対論の形式によって、大いに容易となった。かの数学者は空間座標と時間座標の等価性を初めて見出し、私の理論に使いやすい形にしてくれた。一般相対論に必要な数学的道具は、ガウス、リーマン、クリストッフェルによる非ユークリッド*4多様体*5の研究に基づき、リッチ、レヴィ・チヴィタにより統合され、既に理論物理学の問題に利用されている、絶対微分幾何学の中で既に完成されている。この論文の理解のために数学書を勉強する必要が無いよう、私はチャプターB*6の中で、我々に必要だが、物理学者にとって当然の前提とはされない数学的道具を全て、できる限り簡単にそして見通しの良い形で構築した。最後にこの場を借りて私の友人であり数学者のグロスマンに感謝したい。彼のおかげで関連する数学書の勉強を省くことができたし、彼は私が重力場の方程式*7を見つけるのも助けてくれた。

*1:原論文のPDFはこちら

*2:当時は旧正書法でdaßと書いた。作曲家のベートーベンやR. ワーグナーの著作でも見かける。現正書法ではdass。

*3:特殊相対性理論はこの論文の10年ほど前に既に発表している。

*4:直感的に言えば、座標系が直線ではなく曲線ということ

*5:ユークリッド空間のパッチワークみたいなもの。

*6:アインシュタインは論文をA~Eの5チャプター、22のセクションに分けている

*7:一般相対性理論の中心となる結果。古典力学でいうニュートン運動方程式並みに重大な発見。

SDGsの背景

SDGs(持続可能な開発のための目標)は国連が採択した、世界をよりよくするための開発目標。企業理念やビジネスの場面でも注目を集めているが、なぜ掲げられているような17項目が選ばれたのだろうかと、考えてみる。

真理探究(基礎科学)や人文学的教養(芸術)が好きな僕は、福沢諭吉学問のすすめ』を好きになれない。完全に実学に振り切っているからだ。(第1次)産業革命、殖産興業、ヨーロッパの帝国と対等にならなければ、という時代には実学が重要だったろうが、彼はその後1世紀あまりの社会の発展を知らない。社会的インフラ(ソフト・ハード両方)が整い、多くの人間が大した痛みもなく人生を送れるようになった現代の日本や西ヨーロッパの大部分において、単なる殖産興業は社会の発展にも個人の幸福にも直接は結びつかない。GDPが増えれば人がより幸せになれたのは昔の話だ。第1次世界大戦までの産業革命帝国主義経済、20世紀後半から21世紀初頭までの新自由主義は現在もう人類の正義ではない。人間の幸福が経済の発展に比例しなくなったとき、何が我々を幸せにするのか?知的好奇心に駆動され真理を探究したり、芸術を通して人間の創造性に驚嘆したりするのは僕の幸せにつながっているが、そういった”趣味”では方向性を決められない、もっと大きな枠組み、国家単位ではどうだろう。それに対する一つの答えがSDGsであるように思われる。我々個人の周囲の環境(すなわち住環境、労働環境に加え、時間的空間的生物学的に離れた人の幸福=開発途上国の人々・次世代・異性や多様な性的嗜好の幸せ)が整えば、我々はより幸福に人生を送ることができるだろう、というのである。確かに、これからの人類の向かうべき方向性として、正統であるし説得力もある。
今日ようやく、SDGsがなぜ今取り沙汰されるのかという動機を見出すことができた。

ただ、SDGsを解決することによって幸せになるのは地球の自然でなく人間である、という点には自覚的でありたい。植物にとってみれば二酸化炭素が多い方が生命力は増すし、恐竜があそこまで巨大化し繁栄したのは、気候が今より10度近く温暖だったためらしい。低い酸素濃度の中十分な酸素を取り入れるため、気嚢という器官を発達させた。これは今の鳥類とも共通している。植物の光合成が支配的になったために二酸化炭素が減り過ぎて赤道まで凍った時代もある。地球史を見れば、その時の環境に適した種が生き延びそれ以外が絶滅するということは(億年のタイムスケールでは)日常茶飯事であった。
結局、人類はSDGsをもって高尚な目標に到達した訳ではなく、種の存続安寧と繁栄という一生物としての本能に従って努力を重ねているにすぎない。

こういう実学を疑問視したり、厭世的で人間を相対化する自分の考えはいかにもscience学生っぽいなとも思う。現代の経済学では、どのようなことが議論されているのだろうか。

Podcastの価値

ここ1年くらい、Podcastをよく聴く。古くなってSIMカードも入っていないiPhoneから写真やデータを全て取り出し、WiFi環境下で20GB近くPodcastのエピソードを詰め込んで通勤時などに聴いている。

  • 現代日本の知の先端を行くような人たちの語り
  • 言語学、世界史、プログラミングなど各方面に変態レベルにのめり込んだ人たちによる、凡人のための面白い解説
  • ビジネスの世界で大活躍してきた人たちの経歴と人生観

10年前くらいにiPodを手に入れたときにもPodcastの番組を色々調べたが、当時はあまり面白い番組が(少なくとも日本語では)提供されていなかったと記憶している。その後Podcastとは疎遠な生活を送っていた。

2020年にふとiPhonePodcastアプリを開いてみたら、実に興味深いタイトルが並んでいて、つまみ食いを始めた。1番組は3日〜1週間に一度くらいしか新たなエピソードを公開しないが、複数番組を購読しているとコンテンツに欠くことがない。興味ある番組を1年も2年も遡れば、通勤時間だけでは聴ききれないほどの量になる。

ドイツで生活しているから、日々のニュースは日本語では入ってこない。BBCやDeutsche Welle, ZDFがPodcastで配信しているニュースもiPhoneに詰め込む。自分のドイツ語能力が伸びてきたら、ドイツ語の知的なPodcastも聴いてみたい。初級フランス語講座や日常のフランス語会話をテーマにした番組もあり、フォローしている。

このような刺激的で知的好奇心をそそられる話や日々のニュースを、いつでも、どこでも、何度でも、無料で聴けるので、ものすごい価値のあるプラットフォームだと思う。本を買ったりセミナーに参加したりしなくとも、自分の価値観や視点をアップデートできる。専門用語が聞き取れなかった、内容が高度で理解が追いつかない、という場合には巻き戻して聴き直せるし、0.5倍速にもできる。気楽な話をサラサラっと聴きたい場合とか「今頭冴えてる」という時には、1.5倍や2倍速で聴いてもいい。

視聴し終えたエピソードは自動でリストから削除されるし、サブスクリプトしている番組から新たなものが配信されれば、WiFi下にいる間に自動でダウンロードしてくれる。つまり、自宅で何も準備することはなく、出勤時には地下鉄の中でオフラインでPodcastを聴く用意が整っている。

そもそも利潤を追求する構造でないから、配信者にとっても、PVを稼ぐために市民感情を煽る軽率で挑発的な内容を発信する動機は生まれないし、企業広告もゼロ。純粋に人の知的好奇心を満たし、人生のヒントを与えてくれる、現代の技術が生み出した知性の泉。デバイスを持っている方にはぜひ活用を検討してもらいたいと思う。

番組例:

  • コテンラジオ(世界史を軸とした人文科学から、人類はどういう生き物なのか、現代の問題はどのように解釈できるのか、について俯瞰的に議論する)
  • 相対性理論現代社会が直面する、主に人間の内面の問題について考察する)
  • ゆる言語学ラジオ(受験勉強では鵜呑みにせざるを得なかった、現代日本語、日本語の古典、英語の文法や表現について、本質的・歴史的に理解しそのカタルシスを楽しむ)
  • BBC 6 Minute Grammar(be going toとwill、be able toとcan, couldなど日常でよく使うが非ネイティヴにはニュアンスの使い分けがしづらい表現について、簡潔に理解)
  • BBC Global News Podcast
  • DW Alltagsdeutsch(ヨーロッパの各地域のちょっとしたニュースから、文化や歴史を紹介。レベルはB1~B2くらい?)
  • Chocolat!フランス語(フランス語圏の様々な習慣や文化を取り上げる。インタビュー、語彙の説明、文法テーマ解説など)

各国現行憲法の改正頻度

日経に興味深い記事があった。
www.nikkei.com

ここでは現在までの改正回数のみで比較されているが、国によって現行の憲法も古いもの(アメリカ:232年前)から新しいもの(韓国:33年前)と差がある。これまでの改正回数を、単純に「制定から今までの年数」で割って「1年あたりの改正回数」を計算すると

制定年 制定からの年数(2020年12月) 改正回数 改正回数/年
ドイツ 1949 71 65 0.92
フランス 1958 62 24 0.39
イタリア 1947 73 16 0.22
カナダ 1867 153 31 0.20
アメリ 1788 232 18 0.08
韓国 1987 33 0 0
日本 1946 74 0 0

日本が74年にわたって改正を一度もしていないのと対照的に、ドイツは1年に0.9回改正している。
ドイツは現在のパンデミック対策でも目まぐるしく法律を変えていて(しかも州 Bundeslandによってルールが異なる)、一部のドイツ人からは不満が出ている。でも僕の実感として、「過去1週間の人口百万人あたりの新規感染者数」という数字でくっきりきっぱり規制のレベル分けがなされているのは、判りやすくはある。「重要な政治方針を速やかに規則に定める」傾向は、ここにも見られるようだ。

憲法改正論議

よく世論調査で問われている「憲法を改正すべきだと思いますか」という質問は、憲法の議論をするにあたってあまり意味が無いと思う。問うべきなのは「現在の、あるいは近い将来の国際情勢・外交関係に鑑みて、どうすれば日本という国を維持できるのか」だ。何が必要かをまず考えて、それを実現するために憲法を改正することが必要なのか、法律を変えればいいのか、それとも”解釈”を変えるだけで対応できるのか、が決まると思う。

M1 Mac TerminalプロンプトでARMネイティヴモードとRosetta使用モードを明示させる

Intelプロセッサ向けのソフトをM1 Mac上で動かそうとすると、Rosetta2が起動して「翻訳」しながら動作する。Terminalで作業している時に、

ARM64(ネイティヴ)で動いているのかx86_64(Rosetta2)で動いているのか

を知りたいことがある。Terminalでuname -mとしても確認できるが、Terminalのプロンプトに常に表示させれば毎回確認しなくても済む。

~/.zshrcファイルを編集

このファイルはホームディレクトリ(\User\usr)にある。ファイル名の頭にドットが付いていることから分かるように、これは隠しファイルなので、Terminalでlsコマンドを実行しても表示されない。ls -aとすると表示される。テキストエディタで次の行を追加する:

PROMPT="$(uname -m) %~ $”

モードの切り替え

arm64→x86_64→arm64とモードを切り替えるには次のコマンドを使う:

f:id:Chikuwa04:20210515033105p:plain
ARMとIntelのモード切り替え

おまけ

なおlsコマンドで表示されるファイル名・フォルダ名は、ls -Gコマンドで種類ごとに色分けできる。いつもこのオプションを入力するのは手間なので、僕はどこかのサイトから拾ってきた

export CLICOLOR=1
export LSCOLORS=DxGxcxdxCxegedabagacad

という設定も.zshrcファイルに書き込んである。

中国との摩擦

経済的な影響力の増大、科学技術の進歩と人口増加を経験する国には、軍事力増強、他国への支配拡大への欲求あるいは自分達の強さを誇示したい欲求が生まれてしまう。明治維新から日露戦争までで舞い上がった大日本帝国が、満州そして日中戦争へ進んでいった歴史と、近年の中国が南シナ海原子力潜水艦、海沿いの陸地にはミサイルを配備し、台湾や香港への支配を強め、核ミサイル開発を行っている様子は似通っている。アジアには英米主導の軍縮条約に不満を抱きながら大陸への侵攻を画策していた大日本帝国第一次大戦で大敗し荒廃した1930年代のドイツにはナチスがおり、枢軸国と連合国が対峙する第二次世界大戦へ発展してしまった。一方、今回は欧州(英仏独)も中国政府の非人道的施策を批判しており、米国-日本-EU(少なくとも主要国)がまとまって中国を包囲しようとしている。先月2月19日にも、日本近海で日米仏の共同海軍訓練が行われた。また日米豪印の新しい協調路線「Quad」が昨日初の首脳協議を開いたらしい。「自由で開かれたインド太平洋」を掲げ中国に対抗する姿勢を露わにする。今回は中国側につく大国が(今のところ)おらず、連鎖反応的に世界大戦に拡大してしまう可能性は当時より低い。
ただ、もし北朝鮮が誤ってミサイルを日本や韓国に落としたりでもしたら、それを火種に戦争になりかねないくらい、国家間の摩擦は大きくなっていると思う。

ディスプレイの"広さ"とサイズ・アスペクト比の関係

PCや外付けモニターの画面サイズを選ぶとき、「どれだけ広く感じるか」が重要。この感じ方には対角線の長さ(単位: inch)だけでなく、縦横の比(アスペクト比)も関わってくる。従来はテレビと同じ16:9の比がほとんどだったが、MacBookDell XPSなどが16:10を採用し始めている。ここでは、画面の面積とこれらパラメータの関係をまとめておく。

算数

 a cm, 横  b cmの画面の面積は  S=abアスペクト比  y  y=\frac{b}{a} で定義する (1< y<2) 。ディスプレイの対角線の長さを  x cm とすると、三平方の定理より  a^2+b^2=x^2 。面積は  x,y を使って
 \displaystyle S (\mathrm{cm}^2)=\frac{x^2y}{1+y^2}
と表せる。これを  y の関数としてプロットすると

f:id:Chikuwa04:20210310144254p:plain
ディスプレイ面積とサイズ・アスペクト比との関係。

対角線の長さを固定するとき、 y=1つまり正方形の画面の場合に、面積は最も大きい。ただ我々の2つの目は左右に離れているから、おそらく 1<y でないと見づらい。最も多い16:9、最近出てきた16:10、そして3:2のアスペクト比を黒い太線で示した。上の図を見ると、「14 inchのFullHD」と「13.4 inchのWUXGA」はさほど画面の"広さ"の感じ方に違いはないのかも知れない、といったことが分かる。いくつかのディスプレイ解像度の選択肢について、アスペクト比を計算したのが下図。

FullHD y=\frac{1920}{1080}=\frac{16}{9} 最も一般的
WUXGA y=\frac{1920}{1200}=\frac{16}{10}
2K y=\frac{2160}{1350}=\frac{16}{10}
2.5K y=\frac{2560}{1600}=\frac{16}{10} MacBook Retina Display
4K y=\frac{3840}{2160}=\frac{16}{9} 上位ランクの外付けモニター