日本語の字と読み方の乖離について
ドイツ語を学んでから英語を見返すと、発音とつづりの乖離が甚だしくて驚く。英語の文章を書いていてneighbourとかcolleagueのスペリングが怪しくなることはあるが、ドイツ語のNachbarやKollegeは迷わずに書ける。こういう違いを、「ドイツ語は英語よりもphoneticだ」というらしい。
面白い違いだな、と外から眺めていた訳だが、実は日本語も文字と読み方が一対一で対応していない。そしてそれは、日本語が歩んだ歴史を内部に織り込んでいるのだという。
助詞の「は」「へ」
これらを「わ」「え」と書くのは小学生レベルの間違いであって、違和感はあるけど「は」「へ」と書かなきゃいけない。そう習ったしそれ以上特に何も考えていなかった。でもこれは、以下のような変遷を経たものらしい
- 上代にはハ行の文字は今でいうパ行の音を表していた。例の「藤原不比等はプディパラプピチョ」の時代だ。それが次第にファ行に変化。
- 平安中期からのハ音転呼と呼ばれる現象で、語中語尾ハ行を「ファフィフェフォ」ではなく「ワヰヱヲ」と発音するようになる。
- 読み方は変わったが、書く文字はハ行のまま。古文で「恋(こひ)」「給ふ」等と書かれているが、ハ行で発音していた訳ではない。
- ワヰヱヲの発音から、時代が下るに従って現代のアイエオの発音へ変化していった。しかし江戸時代も、明治維新〜戦後の歴史的仮名遣いの教育でも「書く文字はハ行」が維持された。
- 戦後になって文字と読みが乖離しているのはいかん、ということで現代仮名遣い(ア行)に統一。語中語尾のハ行は「あいうえお」で書くことになったが、例外として助詞の「は」「へ」は歴史的仮名遣いを継承することとなった。
「を」も現代の日常生活ではしばしば「お」と発音されているが、仮名遣いは「を」が残っている。
漢字の音読み
漢字の訓読みは、漢字導入以前にあった和語を意味の近い文字に託す形で付けられた一方、音読みは中国語の発音を踏襲している。ただ中国本土の発音も変化しており、呉音や漢音など同じ漢字に複数の異なる音読みが付けられている場合が多い。手元の漢字辞典で調べると
- 音「おん」「いん」
- 生「しょう」「せい」
- 入「にゅう」「じゅう」
いずれも前者が呉音、後者が漢音である。
中国語の発音には日本語に存在しない子音もあって、フやツで補ったものもある(唇音入声というらしい)。ここにハ音転呼、拗音便や促音便が絡まって、一つの漢字に色々な読み方が生じた。
- 立(リフ→リウ→リュウ→「建立」、リツ→「設立」)
- 十(ジフ→ジウ→ジュウ→「十分」、ジツ→ジッ→「十回」)
- 雑(ザフ→ザウ→ゾウ→「雑巾」、ザツ→ザッ→「雑菌」)
最後の例では、後がどちらもキンなのに、ゾウと読む単語とザツと読む単語がある事になる。歴史の積み重なりを体感するとともに、「日本語を母語として習得していてよかった」という気持ちにもなる。