Chikuwaのつぶやき

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ドイツ政治家のイスラエル・パレスチナ問題に対する発言 日本語訳

ドイツ経済環境相のRobert Habeckの発言が連邦政府公式アカウントからSNS上にアップロードされていました。9分半ほどの動画で、現在議論が加熱しているイスラエルパレスチナ問題について、問題の整理と人種差別主義者の牽制を試みています。

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ドイツ国内の雰囲気が伝わればと思い、訳しました。意訳を含み、訳註は括弧に入れています。皆さんはどのような意見を持つでしょうか。

発言内容本文

ハマスによるイスラエルに対するテロ攻撃が始まって4週間が経とうとしています。あれから多くのことが起こりました。政治的にはもちろん、何より市民にとって。恐怖と苦しみで、数多くの人々の人生が破壊されているのです。世の中の議論はテロ以来加熱し、時には混乱しています。

このビデオで私は、この状況を整理したいと思います。私には、あまりにも多くのことが拙速に結び付けられているように見えるのです。「イスラエルの安全保障はドイツの国是である」という言葉は、机上の空論であった事はないし、そうあるべきでもありません。イスラエルの安全は我々ドイツにとって必要不可欠なのです。このイスラエルとの特別な関係は、我々の歴史的責任に由来します。ドイツとヨーロッパにおけるユダヤ人の生活を否定しようとしたのは、私の祖父母の世代でした。ホロコースト後のイスラエル建国は、ユダヤ人を保護する約束だったのです。ドイツはこの約束が守られるよう、助ける義務があるのです。これはドイツの歴史的基礎です。我々の歴史的責任はまさしく、ドイツにいるユダヤ人が自由かつ安全に暮らせるよう、そしてその宗教と文化を公にすることに二度と不安を感じることがないようにすることです。この恐怖が今、再来しようとしているのです。

私は先日、フランクフルトのユダヤ人団体の方々に会いました。代表の方々は鬼気迫る悲しみに溢れた対談の中で、子ども達が学校へ行くのを怖がっていること、スポーツクラブにもう行かないこと、両親の言いつけでダビデの星のネックレスを着けて外出しないことを話されました。ホロコースト後80年が経とうとしている今、ここドイツでです。自身もタクシーに安心して乗れないし、今では受取人の安全のため手紙の宛先を隠して送っているとのことです。ホロコースト後80年が経とうとしている今、ここドイツでです。また私のユダヤ人の友人は、不安、大きな疑念、孤独を感じています。ユダヤ人団体は身の安全のため、特定の場所を避けるよう団員に忠告しています。今、ここドイツでです。ホロコーストから80年が経とうとしているこの瞬間にです。反ユダヤ主義がデモや発言、ユダヤ人の経営する店への襲撃、脅迫に現れています。迅速な(親ユダヤ的)連帯の動きが出てきている一方、人種差別的な攻撃の中では、その連帯はすぐに脆くなります。それを受けて、今の状況が難しいのだという話になります。しかし状況が仕方ないからといって悪事を過小評価してはなりません。我々の文化では議論する中で憤慨することがよくありますが、今この議論においては怒っても怒り足りません。今はっきりとさせなければなりません。どんな形の反ユダヤ主義も許されません。ベルリンや国内の他の都市で広まっているイスラム教のデモは容認できず、政治が強く答える必要があります。イスラム教徒の団体からも、はっきりした回答が必要です。いくつかの団体はハマスの行動と反ユダヤ主義を否定しており、対話を求めています。しかし全てではなく、一部は非常に渋っており、私は数が少なすぎると思います。国内に住んでいるイスラム教徒は、極右の暴力から守られる権利があります。攻撃された時にはその権利が適用されるのです。これと同じことを、ユダヤ人が攻撃されている今、彼ら彼女らに対して適用しなければなりません。あなた方の許容される権利を失わないために今、はっきりと反ユダヤ主義を否定しなければいけません。ドイツには、宗教的排他主義者のいる場所はありません。誰でもここに住む人は、この国のルールに従って生活しているのです。ドイツに来る人は、そうであること、そしてそれがこれからも貫徹されることを知っていなければなりません。我々の憲法は権利を与えますが、同時に全員が満たさなければならない義務を課しているのです。この2つを別々に語ることはできません。排他主義は許されません。これが我々のドイツにおける共同生活の根幹なのです。従って、イスラエル国旗を燃やしたり、ハマスによるテロ行為を称賛する事は犯罪行為です。これらの行為を行った場合ドイツ人は、裁判で裁かれることになります。ドイツ人でない人は、それに加え滞在許可証をリスクに曝します。まだ滞在許可を得ていない人には、不認可の理由になります。極右団体は単にイスラム教徒をけしかける戦略的理由から息を潜めていますが、ドイツ国内には根を張った反ユダヤ主義が存在することを、イスラム教的反ユダヤ主義者が隠しているのは許されません。第二次世界大戦を、ナチス体制を、「一時的な悪者」として過小評価することは、ホロコーストを矮小化させるだけでなく、その犠牲者と生存者の顔を殴る行為です。これを聞いている皆さんはこのことを理解できますし、忘れてはなりません。第二次大戦はユダヤ人を否定する戦争でした。ナチスにとって、ヨーロッパのユダヤ民族を否定することは一番の目標だったのです。また極右の人の中にはプーチンの仲間がいますから ー プーチンウクライナで市民の犠牲者を出しておきながら、ハマス代表者達とイラン政府と歩みを共にし、ガザ地区の市民の犠牲を嘆いているのです!

一方で、政治的左派の一部にも反ユダヤ主義があることを懸念しています。残念ながら、若い活動家も含まれています。反植民地主義反ユダヤ主義を生んではいけません。そうしている限り、この反ユダヤ的左派は論理武装ができ、降りかかってくる反論を疑い続けるのです。「どっちもどっち」論は誤りに陥ります。ハマスは人殺しのテロ組織で、イスラエル国家の解体と全てのユダヤ人殺戮のために戦っているのです。翻って例えば、Fridays For Futureのドイツ支部が、同団体の国際連携から離脱することをはっきり表明した*1のは、称賛に値します。

私が先日トルコを訪問した際、ドイツにおいて親パレスチナ的デモが禁止されていることを非難されました。そしてドイツはガザ地区の人々のためにも人道支援をしなければならないと。はっきり言います。ドイツにおいてイスラエルを非難する事はもちろん許されています。そしてパレスチナ人の人権のため、固有の国を持つ権利のために行動することは禁止されていません。しかし、ユダヤ人に対する攻撃を歓迎したり、称えたりするのは禁止です ー 法律によって!確かに、ガザにおける生活は希望がなく、貧しいです。確かに、ヨルダン川西岸地区へのユダヤ人移住は軋轢を生み、パレスチナ人の希望、権利そして人生を奪っています。そして現在の戦争による(パレスチナ)市民の苦しみは事実です。恐ろしい現実です。誰一人として子どもの死は悼ましいです。私も人道支援を支持し、水、薬や支援物資がガザに届くこと、難民が守られることに力を尽くしています。市民の保護が重要であることを、アメリカの仲間と共に、常にイスラエルに対して伝えています。現在ガザ地区で起きている死や苦痛は悲惨です。これを言うことは、必要であり正当なことです。しかし(一方で)ユダヤ人への構造的暴力は正当化されません。反ユダヤ主義は正当化されません。もちろんイスラエルは人権と国際基準に従わなければいけません。しかし違いは ー 誰がそのようなことをハマスに期待できるでしょうか?私が先日外国(トルコ)で直面した、10月7日のイスラエルへの攻撃が「不幸な出来事」のように扱われる現状、さらには事実が疑問視されるような現状、これに対しもう一度申し上げたい ー 子ども達、親、祖父母を家の中で残忍に殺害したのは、遺体を切断したのは、人々を誘拐して笑いながら公に屈辱を与えたのは、他でもないハマスなのです。それはまったくの恐怖であるのに、どうしてハマスが解放運動として称賛されうるでしょうか?これは事実の歪曲であり、我々はそのままにしておくことはできません。

最後に ー イスラエルに対する攻撃は、複数のイスラム国家がイスラエルに接近していく中で起きました。イスラエルと地域のイスラム国家の間にはアブラハム合意があります。ヨルダンとイスラエルは共同で飲み水を確保するプロジェクトを進めています。サウジアラビアイスラエルとの国交正常化の途上です。しかしこのようなイスラエルと近隣各国あるいはユダヤ人とイスラム教徒の平和的交渉、(イスラエルパレスチナの)二国家解決案 ー これら全てを、ハマスおよびイラン政府をはじめとするその支援者達は望まないのです。彼らはそれを破壊しようとしているのです。この地域の平和への望みを失っていない者、パレスチナ人の固有国家建設の権利と正当な視点を支持し続ける者 ー 我々はそうなのです ー 皆、この防衛戦戦においてはっきりと立場を示さなければなりません。ハマスによる殺害行為を平和的に防ぐ意思を、示さなければなりません。ハマスイスラエルとの和平を望んでおらず、イスラエルを消滅させることを目論んでいるのです。従って当然、イスラエルの存在権は過小視してはならず、イスラエルの安全は我々の義務です。ドイツはそれを知っているはずです。

*1:ドイツ支部の中心人物Luisa Neubauerは、親パレスチナデモを推奨する内容をインスタグラムに投稿したGreta Thunbergに反対した Klimaaktivistin Neubauer: "Verurteilen Terror der Hamas" - ZDFheute

何を楽しみに生きるか?

I love to immerse myself in the bests of human creations.

僕の色々な興味関心を貫く軸として、的を得ている。
古代ギリシャやローマの彫刻を鑑賞するのも、ベートーヴェンブラームスの音楽に心酔するのも、美味しいフランスチーズや日本酒も、漢字の歴史と成り立ち、ニュートン運動方程式も、シュレディンガー方程式も、かつて存在した人間の偉大な創造物あるいは歴史の風雪に耐え磨かれてきたダイアモンドだから、僕の心を打つ*1

これらと対照的に、政治経済・経営や法律に興味が湧かないのは、人間の醜悪な側面が多く見えるから。液体民主主義など新しい方法によって、”俗世”の社会が少しずつ良くなること(これまでも段階を追って良くなってきた)を願うし注視していきたいと思うが、僕の心を打つテーマではない。耽美主義的だと揶揄されるかもしれないが、こうでもしていないと、僕には生きる価値を見出すのが難しくなってしまう。

*1:物理学の方程式が「人間の創造物(モデル)」なのか、「自然を記述する数式(真理)」なのかは、科学哲学の問題だが、僕は前者だと思っている。なぜなら、現在の素粒子理論は素粒子の種類が多すぎる上に4つの力の統一理論もできていない。「自然を記述する数式」はおそらくさらに抽象的な次元に存在していて、人類はまだそれに到達していない。それは過去に起きた自然認識のパラダイムシフトを思い返せば当然のように思われる。粒子だと考えられていた電子が、ミクロでは実は波のように振る舞っている(de Broglie)だとか、連続量と考えられていた波のエネルギーが実は \hbar\omegaの整数倍にしかならない(Planck)だとか、人類の自然に対する解像度を上げるような功績の積み重ねによって、物理学のモデルは自然をより正確に再現するように発展してきた。

民主主義政治制度のデジタル化 ー Liquitous

感情に流れやすく近視眼的になりやすい人間集団の思考と、その共同体の未来をより良くする実現可能性が高い政策と、この2つをどう繋ぐか。これが政治制度を考える上での中心的問題だと思う。哲人政治はとてもうまく機能する可能性を秘めてはいる(プロイセンのフリードリヒ2世とか、清の康熙帝とか)が、徳と知恵のある為政者を常に確保できるかというと、かなり難しいだろう。

有権者の多数決により代表者を選び、その代表者らが専門家の意見を取り入れながら政策を練るプロセスはとても理にかなっており、日本ほか多くの国に実装されている。一方でこの代議制は、各有権者の意志にピタリと沿った公約を掲げる代表者がなかなかいないというミスマッチの可能性をはらんでいる。経済政策についてはA氏、外交政策ではB氏、教育問題ではC氏に賛成する、というような状況で1票しか持っていないと、「民意」を適切に反映した投票ができない。僕が投票において最もフラストレーションを感じるのはこの点である。また、全ての分野について有権者おのおのが情報収集し、理解し、判断するのは負担が大きすぎるということもある。これらのデメリットを乗り越えるために議論されている方法の一つが、液体民主主義らしい。

liquitous.com

Liquitousがオンラインで実現しようという対話・合意形成プラットフォームは、代議制の対局にある、古代アテネのような直接民主政に近いようにみえる。利点としては、

  • 政策決定が社会や技術の変化に近い速度で行えるようになる
  • 有権者一人一人の意見が(採用されるとは限らないが)議論の場に提出される

ことが考えられる。

対面で話し合う会議室と、SNS(アイデア投稿、いいね、コメント)の良いとこ取りのようなものを想像する。このテクノロジーは、意見を提出するための精神的・時間的制約を軽減するが、しかし出てきた意見はタイムラインで流してしまわずに、集団内で練られていくようサポートする。なかなか良い塩梅であるように思われるから、今後地方自治体での取り組みがどう花を咲かせるか、気になるところだ。

ドイツ原発全停止 ドイツ国内の意見は

昨日2023年4月15日、ドイツで稼働していた3機の原子力発電所が停止し、福島第一原発事故後のドイツの原子力行政のマイルストーンとなった。
ZDFの番組で、賛成派と反対派の討論が行われていた。
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日本にもドイツ国内の様子が伝わればと思い、私見の入らないように、しかしナチュラルな日本語になるように翻訳してみます。

提出された意見

論客は、再生エネルギーを専門とする教授と、バイエルン州原発維持路線を行くCDUの政治家
ざっと論点をまとめると、次のようになる。

電力需要について

  • 天候に依って発電量が大きく変化する再生可能エネルギーだけでは、国内の需要を賄えない曜日・時間帯がある。現存する原発は、専門家によれば2020年台末までは稼働可能であり、一時的な橋渡し(Überbrückungstechnologie)として利用するべきた。原発を停止した今、化石燃料に頼らなければならないが、天然ガスウクライナ戦争の影響で価格が高騰し、国内の電気代の上昇に繋がっている。
  • 昨年も一昨年も、(電力需要の高い)冬の数字を見ると、原子力がなくとも発電量は十分であった。
  • 今後さまざまなものが電化されていくため、電力需要は2倍にも3倍にもなりうる。再生可能エネルギーだけでは賄えない時間帯が出てきてしまうから、今日停止した原発のメンテナンスは続けて、いざ電力が必要となったときに再稼働できるよう準備しておくべきだ。
  • 電力需要がこれから急上昇するのは確かだ。しかし稼働していない原発を稼働可能な状態にキープしておくのは、非常にコストが高い。連邦の、そしてバイエルン州の財政をそこまで圧迫して原子力という選択肢を維持するのはナンセンスだ。再生可能エネルギー発電所を迅速に設置すべきだ。

環境への悪影響について

  • 石炭や天然ガス発電に比べ、原子力発電は発電量あたりの二酸化炭素排出量が少ない。これから、一時的に石炭発電をより多く稼働することになり、二酸化炭素排出量は微増する(環境保護にとって残念な日 ein schwarzer Tag für den Klimaschütz)。
  • 原子力発電所は建設および維持コストが非常に高く、ドイツで生じる核廃棄物の処理場所も未だ決まっていない。原子力発電を続けるのは持続可能でない。

バイエルン州再生エネルギー政策への批判

経済への悪影響について

バイエルン州首相のMarkus Söderは、昨日一つの原発を訪問し、twitterに意見を投稿した。

原子力から手を引くのは、全く誤った判断だ。原子力を一時的な橋渡しとして使わなければ、上昇する電気代が経済の足を引っ張ってしまう。

ヨーロッパの他の国々の原子力政策

ある原子力の安全性を研究する専門家は、原子力はコントロール可能な技術だとしながらも、ドイツの撤退には反対していない。

ヨーロッパはもちろん再生可能エネルギーの発電および充電に関する技術を推し進めていく。フランス、フィンランドチェコは今後も原子力発電を続ける計画だ。全体として、ヨーロッパは少ない二酸化炭素排出量でエネルギーを確保できるようになるだろう。

来年にはフランスで新たな原発が稼働を開始する予定。イギリスではある原発の建設が10年以上延長し費用が膨大になっているが、政府が将来30年間の電力販売価格を保証する形で、業者が原発の稼働ができるよう支援している。

  • イギリスは新たな原発を建設しているが、過去数年間でそれ以上の原発を停止している。フランスは今後数年間で十数機の原発が年限を迎え、それら全てを新たに建設することはできない。原発は高価だ。フランスの原子力企業は昨年大きな赤字を出している。全体として、原子力産業は斜陽である。

番組内で言及された視聴者の投稿

  • 原子力はお金がかかり過ぎる上に危険だ。昨年水不足に見舞われたフランスでは、原発を冷却するのが大変だったじゃないか
  • 核のゴミを処理する場所が決まっていないのに、原発の稼働を続けるのはいけない。
  • 他の国々が原子力を使い続けている中、ドイツだけ全停止して、高い電気代を払っているのは納得できない。

私見

僕は2014年に福島第一原発を遠目に見に行ったことがある。街の家屋が大地震の後直されもせず草だらけになっていたのがとても印象に残っている。日本のような天災に頻繁に見舞われる国では、原発のような、常に冷やし続けなければいけない発電方式は無茶だと思う。核融合発電は逆に運転し続けるのが難しいので、安全面の心配はあまりしていないが、実用化にはまだまだ時間がかかりそう。化石燃料を使うのをやめた暁には、天候に左右されないベース電源として重要な発電方法の一つだろうと思う。

ヨーロッパでは天災による原発事故の心配はあまりないが、核のゴミ問題はなかなか解決が見えない。フィンランドは場所を見つけたが、ドイツはまだ場所探し中である。

上の議論に出たように、原発を使わないことによるデメリットは確かにあって、うまいバランスを見つけていかなければいけない。そして再生可能エネルギーの発電状況と地理、地下資源や世論は各国異なるので、その解も異なるだろう(実際欧州内での統一は見られない)。地下資源に乏しく、隣国から電力を買うこともできない日本で、電力消費の増える夏を原子力無しで乗り切ろうとすると、今は火力発電に頼らざるを得ない。フランスやスウェーデンのエネルギー関連の研究者たちは、欧州物理学会において「原子力は一時的な橋渡しとして今後10年程度不可欠」と意見していた。

一般市民にとって最も難しい問題は、政党の息がかかった政治家の発言、経済的合理性を無視できない企業の意見、ひょっとしたら原子力産業の息がかかっている原子力研究者の証言、といったバイアスかかりまくりの情報の海から事実らしいことを拾いとって、原発のメリットデメリットの両面を検討することだと思う。「原子力なしで電力需要は満たせるのか」「維持点検コストは採算が合うのか」といった疑問に対する答えは、上の討論で見られるように試算の仕方や言葉の定義でいくらでも変わるようだ。他国に依存しないエネルギー自給と、時間変化する需要に合わせたエネルギー供給と、安い電気料金と、環境負荷の軽減は、現在の技術ではどの国も同時に達成はできないから、どれをどれだけ重視するか、各国の事情に合わせたいい塩梅を見つけるしかない。

MacOS Montereyでのカーソル操作のキーボードショートカットをWindowsに寄せる方法

(この記事ではhome, end, 矢印キーのあるキーボード、つまりフルサイズかTenKeyLess (TKL)を想定しています)

問題点

Windowsでカーソルを素早く移動する方法として

  • (A win) home, end 行の先頭/末尾へ移動
  • (B win) Ctrl →, Ctrl ← 単語単位で移動

がある。これだけならMacOSでも

  • (A mac) Cmd →, Cmd ←
  • (B mac) Opt →, Opt ←

で再現できる。上記のキーコンビにShiftを加えることで、今のカーソル位置から行の先頭/末尾(A)や次/前の単語(B)までを選択できる。

  • (A' win) Shift home, Shift end 行の先頭/末尾までを選択
  • (B' win) Shift Ctrl →, Shift Ctrl ← 次/前の単語までを選択

MacOSの場合、

  • (A' mac) Shift Cmd →, Shift Cmd ←
  • (B' mac) Shift Opt →, Shift Opt ←

となる。

しかしWindowsMac両方で作業をする僕にとってこれは3つのデメリットがある。
1. 自分が今どちらのOSを操作しているかによって、頭の中を切り替えないといけない。
2. Macで誤ってhome, endを押すと、文書の頭や末尾まで飛ばされてしまう
3. Macでは(A)にはEmacs key bindingを使った方がよほど速い*1のだが、(A'), (B), (B')に対応していない

  • (A mac) Ctrl a, Ctrl e
  • (B mac) 無し
  • (A' mac) 無し
  • (B' mac) 無し

総じて、Macのカーソル移動に関するショートカットはお世辞にも使いやすいと言えない。

解決策

なのでMacEmacs key bindingをキープしながら、足りないショートカットはWindowsに寄せることに。つまり

  • (A mac) Ctrl a, Ctrl e 行の先頭/末尾へ移動
  • (A mac) home, end 行の先頭/末尾へ移動
  • (B mac) Ctrl →, Ctrl ← 単語単位で移動
  • (A' mac) Shift home, Shift end 行の先頭/末尾までを選択
  • (B' mac) Shift Ctrl →, Shift Ctrl ← 次/前の単語までを選択

としたい。「それではページの先頭/末尾へ移動するショートカットが無くなってしまうではないか!」という心配はご無用。page upやpage downを押し続けるか、Cmd ↑, Cmd ↓でできます。

方法

ユーザ単位でのkey bindingの変更は、$HOME/Library/KeyBindings/DefaultKeyBinding.dictに書き込む。ファイル名や拡張子を間違うと認識されないようなので注意。

mkdir -p $HOME/Library/KeyBindings
touch DefaultKeyBinding.dict

このファイルに以下を書き込む*2*3

{
	/* Ctrl right/left */
	"^\UF703"  = "moveWordRight:"; 
	"^\UF702"  = "moveWordLeft:";   

	/* Shift Ctrl right/left */
	"$^\UF703" = "moveWordRightAndModifySelection:";      
	"$^\UF702" = "moveWordLeftAndModifySelection:";        
	
	/* home/end */
	"\UF729"   = "moveToBeginningOfLine:";
	"\UF72B"   = "moveToEndOfLine:";           

	/* Shift home/end */
	"$\UF729" = "moveToBeginningOfLineAndModifySelection:";
	"$\UF72B" = "moveToEndOfLineAndModifySelection:";                  
}

ファイル保存後、ログアウトしログインし直すと、カスタマイズした設定が適用される。


注意

1. Ctrl →, Ctrl ←はデフォルトで既存のショートカット「左(右)の操作スペースに移動」に割り当てられているので、これをoffにした*4。操作スペース間の移動は普段、Trackpadの4本指フリップでしているので、問題なし!(WindowsではCtrl Win →, Ctrl Win ←)

*1:現在ISO規格のUS Internationalレイアウトのキーボードを利用しており、Emacs key bindingのため、Caps LockキーはCtrlとして認識するように設定している。システム環境設定>キーボード>キーボードタブ>修飾キーから変更できる。

*2:$はShift、ˆはCtrlを指している。詳細は Text System Defaults and Key Bindingsを参照。

*3:Ctrl home/end およびShift Ctrl home/endはおまけ。「Ctrlは間を飛ばして端まで」「Shiftは今いる位置から移動先までを選択」という原則に沿って設定している。

*4:システム環境設定>キーボード>ショートカット>Mission Control

PowerShellでエイリアスを設定する方法

同じスクリプトWindows, Linux, Macのいずれでも走らせることができるという点で、作業の自動化に重宝しているPowerShell。気に入ってはいるのだが、bashzshと比べ直感的でなかったことの一つが、エイリアスの設定だった。

Windows上のWindows PowerShell 5.1およびMac上のPowerShell 7.3.1でテスト済み。

どこのどのファイルに書けばよいか

環境変数$PROFILEにあるスクリプトが、PowerShellの起動時に実行される。コマンド

$PROFILE | Format-List -Property *Host* -Force

で確認できるように、開くPowerShellの範囲と権限によって設定を分けることができる。

1語か複数語か

bashzshではいずれの場合にも.zshrc等に

alias gitl='git log --oneline'

などと書くことでエイリアスを設定できる。ところがPowerShellSet-Aliasは複数語のコマンドにエイリアスを設定できない(そもそも推奨していないらしい)。解決法として、次のように関数を定義する。

function gitl {
	git log --oneline
}

Windowsでは~\Documents\WindowsPowerShell\profile.ps1、Macでは~/.config/powershell/profile.ps1に

Import-module posh-git

function gs {
	git status
}

function gitl {
	git log --oneline
}

なお、gitのブランチやファイル編集状況をプロンプトに表示するため、posh-gitを利用している。

ルツェルンフェスティバル2021の思い出

2021年9月10日(金)、ブロムシュテット指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートを聴くため、スイス・ルツェルンへ電車で旅行した。プログラムはシューベルトの未完成と、ブラームス4番。

オーケストラが本当に一つの生き物になって客席に迫ってくる立体感と迫力。
音量、音の硬さ、ザラザラした振動の激しい音から天に昇るような滑らかな音、音のスピード、どれもゲージいっぱいに使い切って一つの曲を作り上げている感じ。オーケストラはもともとそれができるけど、ブロムシュテットが更にゲージ目一杯まで要求しているよう。それによって未完成もブラ4も、エネルギーの高まり方が尋常ではなく、いつの間にか僕の呼吸も速くなっていた。

会場であるKKLホールは、1階中央後方で聴く限り、舞台と壁で結構音が反射して残響が残る。コントラバスの低音がものすごい強調されていたが、これは指揮者の意図だろうか?ベルリンでバレンボイム指揮のマラ1を聴いた時と同じように、音量の大きい場面ではホールの空間全体が響きで満たされる迫力がある。

ブロムシュテットは御歳94歳(!)だが、彼は歳を重ねてもテンポが遅くならない、珍しいタイプの指揮者のよう。むしろ熱が入りすぎて、僕には速すぎると感じる箇所がいくつかあった。
アンコールでは、シュトラウスのワルツ。憧れのニューイヤーコンサートの音をここで聞けるとは思っておらず、幸せだった。スネアのサッパリした装飾音がシャキッとオケを引き締める。優雅な場面から行進曲になる時、ティンパニコントラバスが見事な調和でブン!と一気にスピードを付けたのも大変印象的だった。ウィーン伝統の音を磨き続けるマイスターたちによるワルツは、絶品だった。

ただ残念だった点もある。
ブラ4第1楽章冒頭では、2ndクラリネットが盛大にビャとやらかした。4楽章最初のコラールでも誰か一人が違う音を吹いて、ハーモニーの進行がおかしかった。攻めの演奏をすると、やはりミスしてしまうことはあるようだ。数週間にわたりヨーロッパを周遊した最後の演奏会ということもあって、いくばかりか疲労が溜まっていたのかも知れない。

また、コンサート後外に出たら、出入り口のすぐ隣に行いの悪い若者がいて、スピーカーでズンズン音楽を流している。タバコ臭いし地べたに直接座るし、コンサート体験の興が一気に冷めてしまう。中央駅のすぐ近くに文化施設があるのは、聴衆がアクセスしやすくなる一方で、不良の溜まり場になりやすいという重大な欠点がある。

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ルツェルンフェスティバル
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ルツェルン KKLのコンサートホール

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城壁から見下ろす湖。湖畔にコンサートホールがある